渋谷といえば忠犬ハチ公。そのハチ公が誕生した1923年から遡ること約60数年、エディンバラで一頭のスカイテリアのグレーフライアーズ・ボビーが忠犬としてその名を轟かせていた。
1850年代。イギリスで始まった産業革命の影響で、良くも悪くもスコットランドは大きく変化しつつあった。スコットランド北部、ハイランド地方も産業革命の影響は大きく、特に農民達は仕事や財産などを失った。そして新たな職を求めて、ハイランド地方からエディンバラのスラム街に移り住み始める農民達が後を絶たなかった。ボビーの主人である庭師のジョン・グレー氏もその中の1人だったが、彼はエディンバラでは庭師の仕事を見つけることができず、また、貧民収容作業施設に入りたくない一心で、エディンバラ警察の夜警として、勤務することになった。
当時の巡査は武器を携帯せず、巡回時には必ず警察犬を連れていたそうだ。最初グレーの相棒に任命されたテリア系の犬と共に任務に励んでいたが、3年後その犬は狂犬病亡くなる。その後、後任としてグレーと共に勤務に励んだのが、生後6ヶ月のスカイテリアのボビー。グレーとボビーは常に共に行動し、お互いを高め合った。グレーとボビーが、エディンバラの古い石畳の街路を歩く姿は見慣れた光景となり、お互い常に傍らに寄り添っていた。
(飼い主グレーのお墓)
目論んでいた管理人は、最後には諦めてグレーの墓のそばにボビーのために避難所を作った。
ボビーの忠誠心はエディンバラ中で有名になり、多くの人々がボビーを見るために教会墓地の入口に集まり、午後1時の大砲の時報とともにボビーが、昼食のために教会墓地から出てくるのを待つようになった。ボビーは、地元の建具屋・戸棚製造者のウィリアム・ダウの後について、かつてグレーと一緒に行っていたコーヒー・ハウスに行き、そこで食事をもらっていたそうだ。
しかし、1867年に地方条例が制定され、エディンバラでは飼い犬として登録された犬以外は殺処分されることになった。危うくボビーも殺処分されそうになったが、当時のエディンバラ市長ウィリアム・チェインバーズが、自らがボビーの登録料を払うと決め、野良犬ではない証拠として「市長からのグレイフライアーズ・ボビー1867年鑑札」と彫った首輪をボビーに送った。ボビーは1872年に自分が死ぬまで、14年間の間主人の墓を守り続けた。
(ボビーのお墓)
現在も多くの人々に愛され観光客からも人気のボビー。しかし、当時のヨーロッパでは墓地に定住する犬「墓地犬」というものがあったようで、ボビーは忠犬でも何でもなく、ボビーもその墓地犬であり、単に決まった時間にご飯をもらいにきていただけ、という説もある。
しかし、ボビーの鼻が撫でられすぎてペンキがはげて金色になっていたり、寒い日は誰かがマフラーや羽織物をかけてあげているのを見ると、みんなから愛されていることに変わりはないのである。
ボビー犬は、以前ご紹介したJ.K.ローリングさんがハリーポッターの第一巻を執筆したカフェElephant Houseや、クローン羊のドリーがいる国立スコットランド博物館、安定のニコルソン系列のパブGreyfriars Bobby's Barなど、観光スポットから大変近いところに居る。是非通りかかったらボビーのご主人への忠誠心を思い出して欲しい。